「この世界の片隅に」生きる理由は要らない。
原作を読む前までは戦争映画なのかなと思いましたが
この「この世界の片隅に」は何を伝えたかったのか。
主人公の「すず」さんが呉へと嫁ぎ、新しい苗字になり新しい地、新しい家族に囲まれて悩んだり楽しいと思ったりして時には次々と絶望が覆いかぶさるような事態が起き、「それでも生きていく」過程を描いています。
戦時中の体験をした方が今はどれくらいいるのでしょう。
そうでない今の人たちは遥か遠い昔、終わったこととしての感覚で明後日の方向へ向いているかもしれません。それは「実体験」がないのだから仕方ないのです。
客観視してしまうことで「地続き」の感覚を失ってしまうのです。
あの時代と今は確実に繋がってできていると映画ですずさんとすずさんの周りの人間たちの日常を中心にし、戦争という背景の中で感じ取れると思います。
すずさんに数々の絶望が訪れます。辛いことがあっても心のバランスが崩れるのを抑えていたのは唯一、絵を描くことだったのだと思います。絵を描くという心の支えを失くし「普通」でなくなったすずさん。
大切なものを失った悲しみ、それを受け入れて、また、受け入れられて私たちは拠り所(自分の居場所)を見つけて生きていくのです。
そんな辛い中でも「生きる」ことを選んだすずさん。
なぜ、私たちは「生きる」のか。
そもそも「生きる」とは何なのか。
我々の共通認識としてあるのは、「人はいかなる理由があっても殺してはならない」というものでしょう。つまり、「〜〜ならば、殺すな」ではなく、「殺すな」なのです。このようなものを定言命法といいます。「なぜ人を殺してはならないのか」に理由はなく、むしろ理由はあってはならないということなのです。それは、仮言命法ではなく定言命法で命令されるべき、言わば生命存在として無条件的に要請される命令だからです。
同じように、「我々はなぜ生きるのか」に理由があってはならないのです。あなたがこの世に生まれ落ちたこと、それ自体が価値あることであり、「善」なのです。「〜〜ならば、生きろ」ではなく、「生きろ」なのです。『もののけ姫』のキャッチコピーがまさにこれですが、あの作品も「とにかく生きなければ何も始まらない。生きている事自体が価値あることだ」というメッセージを備えたものでした。
この映画を観た後は無性に大好きな絵が描きたくなりましたね。
描くことはわたしにとって生きる実感なのだと再確認させられました。