堀江貴文「すべての教育は「洗脳」である」の感想。子供を感情的に怒るのがアホらしくなった。
2017年3月20日に発行された堀江貴文
「すべての教育は「洗脳」である」を読みました。
ルールを強いられた学校や校則は要らないとバッサリ。
読めば読むほど納得のいく内容。
人は興味を持てないことをやらされている時には、さっさと片づけることだけを考え、問題意識を持ったりそれについていちいち調べたりはしない。のめりこんでいる人だけが、目の前のものを真剣に見つめ、それについて多角的に考える。自分から手足を動かし、自分の頭で考えるからこそ、湧き出た疑問について貪欲に探究できるのだ。
親である私にも当てはまる部分があるのですが、宿題の進み具合でつい注意し、怒ってしまいがち。でもそれは子供が宿題や勉強に集中できないのは興味もなければ面白くないし「没頭」できないからなんだと思うんです。勉強が好きな子はそんなこと言われる前に勉学に没頭してるんですよね。
「没頭」する何かがあると「教養」はあとからついてくる。
今まで宿題をこなす作業に口うるさく注意したり怒りをぶつけたりすることがどんなに愚かな行為だったのか。
だからと言って提出物を出すことや勉強をおろそかにしていいとは思っていません。
要らないのは「怒る」感情。です。「押さえつけ」は無駄なんです。
全部分からなくていい。
あまり進まなくていい。
もう、なんならテキトーでいい(笑)
その代わり何か好きなモノひとつ見つけて欲しい。
今入ってる塾は親の私が教えたりすると間違った教え方だったり、感情的になって、お互いがイライラするから。イライラしないために「塾」というツールを活用する。塾の先生は割り切ってくれるから感情的に怒ることはない。
学校の勉強が分からないと学校の楽しさが半減するから。できれば少しでも理解できて授業が楽しいって思ってくれたらいいと、それだけ。
これがやりたい、ってものがあればそれ取り組んで「没頭」して欲しいですね。
いやー、「国民国家」という幻想が崩壊しつつある今、私たちの概念がひっくり返っていると思いません?いい大学に出て大手企業に就職するのが正解で幸せなことだと刷り込まれていたのに、複雑な人間関係や上下関係に押し潰され、人生の大半の時間を仕事に奪われ、自殺に追い込まれるケースも少なくないこの世の中。
おかしいよね。変だよね。そこまでして働いて土地買って時間奪われてなんのために生きてるの?って聞きたくなる。もちろん、それが好きな人はやればいい。苦にならないはずだし自殺もしないだろう。
私もブログに没頭して自分はこうだと思う、とかこれはどんな真実があるのかとか興味を持ったことについて、どんどん探究していきたいです。なぜならそれが楽しいから。
すべての教育は「洗脳」である?21世紀の脱・学校論? (光文社新書)
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